残念な起業家を長年やっていたら、自分の奇行に妙な一貫性があることに気づいた

最近、自分について妙なことに気づいた。
私はどうやら、人生のあらゆるものを「OS化」したがるらしい。
旅行も。
仕事も。
服も。
荷造りも。
AIの使い方も。
こう書くと、たいそう意識の高い人に見える。
システム思考を学び、人生を最適化し、生産性を最大化している人みたいだ。
全然違う。
めんどくさいのである。
たぶん、私の人生はだいたい「めんどくさい」から始まっている。
しかも最近になって、どうやら私は普通の人より「めんどくさい」の判定基準が少しおかしいらしい、ということにも気づいた。
たとえば旅行。
私は旅行が好きだ。 かなり好きだ。
でも旅行先で、
「今日どこ行く?」
「この店何時まで?」
「ここからどうやって行く?」
「雨降ったらどうする?」
「予約いる?」
「この近くにカフェある?」
と、その都度スマホを出して調べるのがものすごく嫌いだ。
なので、旅行前に全部調べる。
行きたい店、営業時間、地図、移動手段、雨の日案、空港からホテルまでの導線、現地で困ったときの情報まで、全部Notionに入れておく。
その結果、旅行用Notionが50ページくらいになる。
人に見せると、だいたいこう言われる。
「そこまで準備する方がめんどくさくない?」
いや。
旅行中に50回考える方がめんどくさい。
私にとっては、一度まとめて考えて、あとは考えない方が圧倒的に楽なのだ。
これを今まで私は、特に変なことだと思っていなかった。
荷造りも同じ。
旅行のたびに、
「何泊だっけ」
「寒いかな」
「ランニングするかな」
「LCCだから荷物減らしたいな」
「タオルいるかな」
とか、いちいち考えるのが嫌なので、条件分岐付きのPacking Listを作っている。
4泊以上ならこれ。
LCCならこれ。
走るならこれ。
寒い地域ならこれ。
一度考えたことは、次から考えなくて済むようにしておく。
私としては、ただ楽をしたいだけだった。
ところが最近、こういう自分の行動を並べてみたら、妙な一貫性があることに気づいた。
私はどうも、
同じことを何度も考えるのが、ものすごく嫌いらしい。
私は考えるのが嫌いなわけではない
ここはちょっと大事だ。
私は考えること自体は嫌いではない。
むしろ好きだ。
事業の構造を考える。
サービスの設計を考える。
人がなぜ動くのかを考える。
顧客の本当のニーズは何かを考える。
こういうことは延々やっていられる。
でも、
「この服に何合わせるんだっけ?」
「この案件、前どこまで話したっけ?」
「この旅でまた何を持っていけばいいんだっけ?」
を何度も考えるのは嫌だ。
たぶん私は、時間そのものより、
頭をそのテーマに再接続する回数
を減らしたいのだと思う。
一度閉じた案件をまた開くときには、
「前どこまで考えたっけ」
「条件は何だったっけ」
「何を基準に決めたんだっけ」
をロードし直さなければならない。
一つひとつは小さい。
でも、これが何十回、何百回と積み重なる。
そのたびに頭を切り替えて、また戻って、また開いて。
私はたぶん、この再起動コストをかなり高く感じるタイプなのだ。
だから、一度考えたら、なるべく考え方ごと保存したい。
答えを保存するだけでは足りない。
次回の自分が、
「どう判断すればいいか」
まで残しておく。
ゲームでいうなら、毎回ニューゲームは嫌なのだ。
ちゃんとセーブデータから再開したいのである。
靴を一足買おうとしたら、クローゼットに人事制度ができた
この夏、久しぶりに「ちょっとしたおでかけ」というシーンが何回か降って湧いた。
そこで私は、きれいめなノースリーブワンピースに合わせる靴がわからなくなった。
昔ならヒールやパンプスを合わせていた。
でも今の生活ではよく歩くし、移動も多い。
ホテルラウンジや会食にも行くけれど、そのためだけに足が痛くなる靴を履きたいわけでもない。
なので、
「歩きやすくて、でもちょっときれいな靴を一足買おう」
と思った。
本当に、それだけだった。
ところが、手持ちのワンピースを見ているうちに、
「あれ? 着なくなったのって、ワンピースが嫌いになったからじゃないな」
と気づいた。
ワンピース自体は今でも好きなのだ。
でも、それに今の自分が履ける靴がない。
さらに、ホテルや会食に行くときに羽織れるものもない。
つまり問題は、
服が悪いのではなく、接続(コーデ)が切れていた。
ワンピース単体ではまだ使える。
でも、それを今の生活の中で起動するための靴と羽織りがなくなっていた。
そこから話はおかしな方向に進んだ。
この服は今も現役なのか?
何か一つ足せば復活するのか?
特定の場面なら使えるのか?
いや、いっそもう引退なのか?
今は着ないけれど、保管する価値はあるのか?
私はいつの間にか、服を
KEEP
UPGRADE
ARCHIVE
REMOVE
COLLECTION
に分け始めた。
さらに、
毎日働く服。
特定条件で働く服。
ここ一番で働く服。
引退した服。
文化財として残す服。
という分類まで始めた。
そして古いパンプスには、
Executive Advisor(特別顧問)
という役職が与えられた。
毎日は働けない。
3時間履いたら足が死ぬ。
でも登壇30分なら最高の仕事をする。
会食2時間ならいける。
卒業式でも使える。
つまり、常勤社員ではない。
でも、ここ一番で呼ぶ価値はある。
……私は靴を一足買いたかっただけである。
なのに気づけば、クローゼットに人事制度ができていた。
さらに、
「服を減らすのではなく、稼働率を見るべきなのでは?」
などと考え始め、
最後は、
「そもそもシステムとは何か」
が気になり、積読していたドネラ・メドウズの『世界はシステムで動く』を読むことになった。
靴の相談から、なぜシステム思考に着地したのか。
自分でもよくわからない。
ただ、振り返ってみると、やっていることは旅行と同じだった。
毎朝、
「これ何と合わせよう」
と考えたくない。
今の自分の生活の中で、何がどう起動するのかを一度整理しておきたい。
未来の自分の意思決定を減らしたい。
だからOS化した。
では、めんどくさいものは全部OS化すればいいのか
ここまでだと、
「なるほど。めんどくさいことは全部仕組みにすればいいんですね」
という話に見える。
でも、そうでもない。
昔、息子が4歳くらいの頃から数年間、毎夏シンガポールのサマースクールに通わせていた。
当時は今ほど海外サマースクールが一般的ではなかった。
日本からわざわざシンガポールへ行き、親子で数週間滞在するような既成プランもほとんどなかった。
そこで、女性起業家の友人たち限定でSNSで募集をかけ、母子2組か3組で3ベッドルームのコンドミニアムを借りて、3週間くらい暮らした。
子どもたちは朝8時頃にスクールバスへ乗る。
16時頃に帰ってくる。
その間、母親たちはコンドでそれぞれ仕事をする。
子どもが帰ってきたらプール。
週末はZooやウォーターパーク。
今振り返っても、かなりよくできた仕組みだったと思う。
働く母親は仕事を止めずに済む。
子どもは海外で夏休みを過ごせる。
コンドをシェアするので、ホテルより生活しやすい。
母親同士である程度助け合える。
実際、インタビュー記事などで紹介されたこともあり、何度も言われた。
「これ、事業にしたら?」
市場ニーズもあったと思う。
今では留学仲介やサマースクール支援もずいぶん増えた。
だから後から見れば、
「あのとき事業化しておけばよかった!」
と言ってもよさそうな話だ。
でも、私は一度もそう思ったことがない。
むしろ今でも思う。
絶対イヤ。
こんなめんどくさいこと、他人の子相手にやってられっかー!!!
が本音である。
なぜなら、私は現場を知っていた。
表から見ると、
海外サマースクールの選定。
滞在先の手配。
働く母親同士のマッチング。
子どもの国際経験。
親が仕事を続けられる環境。
という、とてもきれいなサービスに見える。
でも、実際に現場で起きるのはそんなことだけではない。
子どもの相性。
母親同士の生活習慣。
部屋割り。
食事。
送迎。
病気。
怪我。
泣いて学校に行きたくない子。
忘れ物。
予定変更。
学校との連絡。
買い出し。
洗濯。
タクシーが来ない。
レストランに入れない。
コンドの設備が壊れる。
などなど、挙げたらキリがない膨大なタスクの積み上げである。
しかも同行していた母親たちは、全員かなり自走できる女性たちだった。
英語が完璧でなくても、度胸がある。
自分で判断して動ける。
何かあっても、いちいち
「どうしたらいい?」
とこちらに全部投げてこない。
それでも、細かい英語での交渉が必要になると、最終的に案件を拾うのは私になる。
学校への連絡。
忘れ物の問い合わせ。
トラブル対応。
その中で一番象徴的だったのが、友人の子どもの忘れ物だった。
友達の子だから、私は普通に学校へ問い合わせた。
どこにあるか確認して、どうやって取りに行くか考えて、親に伝える。
全然問題ない。
だってこれは友人への善意だから。
でも、これが有料サービスだったらどうだろう?
「忘れ物がありました」
という一件で、
学校への確認。
保管場所の特定。
回収方法の調整。
親への報告。
見つからなかった場合の対応。
が発生する。
友達の子の忘れ物だから拾えた。でも有料サービスなら、忘れ物ひとつが業務になる。
しかも対象は、他人の子どもだ。
安全責任もある。
感情的な負荷もある。
何かあったときに、
「まあいっか」
では済まない。
事業として成立させるなら、旅行手配料だけでは足りない。
現地通訳。
教育コーディネート。
生活支援。
子どものケア。
母親同士の調整。
緊急対応。
全部含めた相当高額なフィーが必要になる。
たとえそれだけもらったとしても、こんなめんどくさいこと私はやりたくなかった。
市場ニーズがある。でも絶対イヤ
起業家の世界では、
「ニーズがある」
という言葉はかなり強い。
市場がある。
顧客が困っている。
競合が少ない。
自分には提供能力もある。
なら、
「事業化しよう!」
となりがちだ。
でも私は、この経験以来、
価値があることと、自分が事業として引き受けたいことは別
だと思っている。
市場がある。
顧客がお金を払う。
自分にできる。
利益が出る。
スケールする。
自分がやりたい。
これは全部、別の問いだ。
特に怖いのは、一見仕組みに見えるものが、実は特定の誰かの善意と例外対応能力で回っているケースだ。
シンガポールの母子滞在もそうだった。
仕組みが優れていたから成立した部分はもちろんある。
でも同時に、
参加者が自走できる女性たちだったこと。
互いの子どもをある程度見合える関係だったこと。
そして最後に英語が必要な案件を私が全部拾っていたこと。
これらにかなり依存していた。
つまり、
再現可能なサービスに見えて、実は私の無償労働がインフラだった。
ここを見落として事業化すると、創業者が全部の例外対応を抱えることになる。
売上は立つ。
でも人が疲弊する。
人的リソースに依存する。
スケールしない。
利益も残らない。
私はたぶん、こういう
「人間のめんどくささ」が事業の原価としてどれくらい残るか
を見る癖がある。
それもまた、めんどくさがりだからなのかもしれない。
めんどくさいにも、消せるものと消せないものがある
こうして並べてみると、私は「めんどくさいことから逃げている」のではなかったのだと思う。
もっと正確には、
このめんどくささは、一度考えれば消せるのか。
それとも、何度でも人間が引き受け続けるものなのか。
を見ている。
旅行の検索は、一度まとめておけば減らせる。
荷造りは、条件を決めておけば減らせる。
服選びは、接続ルールを作れば減らせる。
仕事の情報も、残しておけば再接続しやすくなる。
こういうものはOS化する。
でも、
泣いている子ども。
相性の悪いクラスメイト。
突発トラブル。
感情の調整。
安全責任。
こういうものは、仕組みにしても完全には消えない。
人間が引き受けるしかない。
だったら、その負荷をちゃんと価格に入れる。
それができないならやらない。
そして、そもそも自分がやりたくないなら、やらない。
これは、人生でも仕事でも同じだった。
残念な起業家を長年やっていたら
私は長いこと、自分を「システム思考の人」だと思ったことはなかった。
生産性オタクでもない。
整理収納が得意なわけでもない。
旅行計画マニアになりたいわけでもない。
ただ、
「これ毎回やるの、めんどくさくない?」
と思う。
そして一度めんどくさいと思うと、
「二度と同じめんどくさい目に遭わない方法はないか」
を考える。
その結果、
旅Notionができる。
Packing Listができる。
Dress OSができる。
AIに前提を覚えさせる。
仕事の運用を仕組みにする。
そして、仕組みにしてもめんどくささが消えない事業には、
「絶対イヤ」
と言う。
これを何年も繰り返していた。
最近、人に話していて気づいた。
どうやら、普通の人はここまでしないらしい。
私はずっと、
「こんなのみんなやってるでしょ」
くらいに思っていた。
やっていなかった。
残念な起業家を長年やっていたら、自分の奇行に妙な一貫性があることに気づいた。
私は効率化が好きなのではない。
考えることが嫌いなのでもない。
むしろ考えるのは好きだ。
ただ、
同じことを何度も考えるのが嫌いなのだ。
だから、一度考えたら未来の自分に渡す。
判断基準ごと保存する。
頭を何度も再起動しなくて済むように、人生のあちこちにセーブポイントを作る。
それを私は、後から「OS」と呼び始めただけなのかもしれない。
そして今のところ、そのOSを作る最大のトリガーは、
立派な経営理念でも、
壮大な人生哲学でもなく、
「めんどくさい。」
である。
なんとも残念な話である。
これが、あの人気図書『ざんねんないきもの事典』に載っていてもおかしくないと思われる、起業家の生態と実態である。
そしてたぶん、この文章を世に出す工程まで、そのうちOS化する。
だって、めんどくさいから。